「二週間前」

実は二週間前の今日、22歳になった。

週刊長谷川の更新日と見事に重なったわけだ。なぜそんな絶好の機会にこれを書かなかったのかって。

なんかヤだったのよ。あからさまじゃないの。

それに、誕生日がもう嬉しくない。

もちろん、おめでとうと祝福してもらえるのは嬉しい。とても嬉しいのだが、ひとつ歳を重ねるという事実を受け入れなければならない日なのだ。切ない。

陰気な話しか出てこないが、折角だからライブやラジオであまり話したことのない小さい頃とか、自分の名前のことを少し書いてみようかと思う。

 

小さい頃、という単語で思い起こす記憶は、病室だ。

 

体が弱くてしょっちゅう入院していた。大学病院にも入院したことがある。今でこそ病院嫌いではあるが、当時はそんなに嫌ではなかったような。

一日中ベッドに寝ていても何も言われないし、というか寝てないと怒られるし、体は看護師さんが拭いてくれるし、朝起きたら目の前に食事は置かれているし、もうどっかの国の王子様となんら変わらなかった。それにケーブルテレビとBSが映るんだもの。テレビっ子、ビデオっ子(VHSっ子とも言う)だったボクにはたまらなかった。仮面ライダーV3が再放送されていたのを憶えている。

 

そんな生活がいつまで続いていただろう。幼稚園か、小学一年生か。あまりはっきりとは分からないが、ボクがあまりに休むもんだから、同級生達の間で「万大くんは死んだんじゃないか」と死亡説が流れていたと後から知り、勝手に死んだことにされるほど子供とは残酷で淡々としたものなのかと思った。

しかしながら、サモハン・キンポーや志村けんさんがそうであったように、死亡説が流れるというのは大物の証ではなかろうか。ははははは。

 

やがて大人になった。体も幾分、強くなった。それは音楽活動のお陰でもある。

この先、できれば入院することのない人生を送れるようにと、今は切に願っている。

 

さて、名前に関してだが、よく芸名ですか、と聞かれる。

 

もっと多いのは、楽屋貼りやライブのプログラムに、月に一回くらいのペースで『長谷川万太』と書かれていることだ。誰だそれは。

割と大手のネット新聞にもこの『万太』表記で載せられたことがある。ふざけるな馬鹿野郎。杜撰すぎる。

『万犬』と書く強者(つわもの)はまだ現れていないが、『大』に何か一本加えたいんだろう。要らないひと工夫だ。

 

街で声を掛けてくれる方だって例外ではない。つかつかとボクに駆け寄り澄んだ目で、

 

「長谷川マンタさんですよね! テレビ観ましたよ!」

 

キラキラッとした表情と眼差しに圧倒されて、「ありがとうございます、これからもよろしくお願いします!」と精一杯の笑顔で応えることしかできなかった。

 

マンタさんって何なんだ。

 

俺は魚か。

 

小学生時代には「バンダイくん」と呼ばれることもよくあった。

 

俺はおもちゃ会社か。

 

まあ、確かに気持ちは分からないでもない。だって読めないもん。

 

この名前は神社で付けてもらったもので、神様から頂いた名前ということになる。身内の話では、『万大』と『右大』で迷ったそうだが、画数やらを考えて『万大』に落ち着いたらしい。

 

「はなまるマーケット」に出た時、司会の薬丸裕英さんにこの名前を褒めていただいた。我ながらインパクトのある名前だと思う。この名前にめぐりあえたのも、縁(えにし)だ。心から感謝している。

 

姉から聞いた話なのだが、以前職場に来たお客さんに『万子』さんという人がいたらしい。

もちろん、『ゆうこ』さんと読む。