「日曜の夕方」

 

日曜の夕方は嫌いじゃない。

サザエさんを見ながら夕食を食べられる日は特に機嫌がいい。

 

 

明日からまた学校が始まる憂鬱に悩まされたのは高校までだった。大学に入って、日曜の夕方に憂鬱を感じたことはあまりない。


なぜ今日はこんなこと書くのかって。

この原稿を書いているのが日曜の夕方だからだ。


マジックアワーを楽しみながらキーボードを打っている。

窓が大きいから、部屋にいながらマジックアワーを楽しめるのだ。

正面から見ると、窓の景色は上と下で半分に分かれる。下半分は、ずらりと建ち並ぶマンション。上半分は空だ。部屋の中の灯りや音を一切消して、窓から差し込む夕暮れの明かりだけを迎え入れ、白からオレンジに染まっていくマンションの壁や、その時々で色を変える雲を、椅子に腰掛けて、ただ黙って見つめる。

 

やがて、オレンジから再び青へ。太陽に照らされた昼間の爽やかな青ではなく、心の底を映したような深い青。これが本当の色なんだと思ったりする。

 

そうこうしているうちに街灯りだけがはっきりと見えるくらいの闇。夕方から夜へのグラデーションはあっという間だ。

 

 

このわずかな時間に幸せというものを感じる。

 

 

ボクは寮で暮らしている。この五階の角部屋になったのは偶然だが、他の部屋に比べると条件がすごくいい。電車の音もうるさくないし、田んぼの前じゃないから虫も入って来ない。日当たりもよくて、何より窓の外の景色を阻む余計なものがない。

 

自然広がる景色より、ビルやマンションの灯りのほうが好きだ。

 

それはきっと、自分の生まれ育った町では見られなかったからだと思う。

 

 

いつからか分からないが、いま住んでいる筑紫野市近辺には愛着がある。都会の田舎とでも言うのか、静かすぎずうるさすぎないこの街でもう少し過ごしたいと思った。あと一年足らずでここを出て行くなんて、この窓からの景色を見られなくなるなんて寂しい。

 

同じ場所に留まるのが嫌だと常日頃から思っているボクでも、こんなこと思うんだな。

 

書き終えるまでにすっかり夜になった。

 

風に乗って、どこかの家のみそ汁のにおいが部屋にやってくる。

 

 

みそ汁。

 

 

みそ汁。

 

 

そういえば今日は母の日だった。

 

 

小さい頃のこと。

 

 

何かの拍子で、祖母が作るみそ汁のほうがお母さんのより美味しい、と母に言ったことがある。

 

おばあちゃん子だったボクは、祖母の作る卵焼きとみそ汁が大好きだった。

 

だけど、母の料理をまずいと思ったことは一度もないし、むしろどんな有名なシェフが作るよりも美味しいと思っているが、どうしてこんなことを言ったんだろう。

 

ずっと忘れていた記憶だったけれど、ふと思い出してしまった。

 

 

祖母のみそ汁の味、はっきり憶えている。

 

 

この前、実家に帰った時、いつも不思議な料理を作る姉が作ったみそ汁が祖母の味に似ていた。そんなはずはないと認めたくなかったが、確かに似ていた。

 

祖母が亡くなって今年で二年だが、今もちかくにいるんだろう。