「JK」

遠くまで見える道で 君の手を握りしめた 手渡す言葉も何もないけど

 

歌はタイムマシンだとよく云う。思い出の歌を聴くと、いくつになっても、どんなに時が流れようと、それを何度も何度も繰り返し聴いていたあの頃の続きになる。

それほどまでに鮮明で、かぎりなく透明な記憶を呼び起こす力があるのだ。

 

一行目に書いたのは、海援隊の『人として』の歌い出し。「3年B組金八先生」第二シリーズの主題歌で、これを聴くと一瞬で小学六年生に戻る。小学五年の時に、第一シリーズをDVDで制覇し、まもなく第二シリーズに突入する頃。海援隊のアルバムを家でも車の中でもエンドレスで流していた。

同時期に見ていたのは、堺正章さんの「西遊記」や「8時だョ!全員集合」だったし、もうこの頃から既に昭和は始まっていたものと見える。

昭和が徐々に体を支配していたのだ。

 

さて、今日のテーマはこれではない。

 

ここ数日どうもこの「人として」が頭から離れなくて、事あるごとに、それも途切れ途切れに脳内再生される。金八先生も最近は見ていないし、海援隊のアルバムを聴いていたわけでもなく、突然発症した。

 

夕暮れの道を歩いて帰る時に、それは特に起こりやすい。

 

 鳥のように生きたいと夕空見上げて佇むけれど

 

或いは、

 

 思いのままに生きられず心に石の礫(つぶて)投げて

 

といった歌詞が、自分の意識が心の内面に向かう散歩の時間に、雲がやわらかに広がる空や移り変わる景色と重なって、程よくリンクするのだと気付いた。

 

まさに、歌と生きている。

風と生きている。空と、見知らぬ人と、地面を揺らす電車と、冷たい車と、生きている。

なんてすばらしいんだろう。 嗚呼、、

こうして生きることのすばらしさと儚さに心を奮わせていると、唐突に、刺客が現れる。

 

前方から、大きくガニ股に足を開いてチャリを漕ぎ、片手にはコンビニで調達したであろう棒付きから揚げ、カゴに放り込まれた体操着入れからファンタのグレープ味をはみ出させた女子高生たちがやって来る。

しかも蛇行運転だ。ただ者ではない。

 

敵襲だー! 敵襲だー!

 

一瞬のうちにボクの中の自己陶酔無常観帝国は混乱状態、国家滅亡の危機に陥った。雲ひとつない空には戦闘機やヘリが飛び交い、のどかだった街をバカでかい大砲を真ん中に据えた戦車が埋め尽くした。国の幹部がギリギリまで国民への避難勧告を出さなかった為に混乱が混乱を招き、そうこうしている間についにその時が来た、、、

 

「ギャハハハハハハ!」

 

一撃である。たった一撃で、自己陶酔無常観帝国は跡形も無く消え去った。

華奢な体のどこにそんな力が潜んでいるのかと思うくらいに、セーラー服に身を包んだモンスターの木々をなぎ倒すような笑い声。しかも、意外に低い。

すれ違いざまにこの一撃を食らうと、肩がズシンと重くなる気がする。それに今回の彼女らは“装備”も非常に、こう、なんというか、優れていたのでね。参りましたねほんとにね。

 

誰かが言っていたことだが、「男は男らしく、女は女らしく」という言葉の本当の意味は、男は放っておくとだんだん女々しくなって、反対に女のほうはだんだんと勇ましくなっていく。だから、お互いにうまいこと引き寄せ合って保つんだと。

決して差別的な言葉ではないのだ。

 

ということは、我々男たちがしっかりしないといけないということか。

しまった。自爆である。