「精神的苦痛」

小学六年のある日、学校を終えて家に帰ると、新しく開校するスイミングスクールに来月から通うことになったと告げられた。正確には、通わされることになった、である。

ボクの知らぬ間に入会手続きは全て済まされていたのだ。

 

母の仕業だ。

 

ボクの意思は完全に無視。有無を言わさず、というか、悩む余地すら与えられなかったわけである。選択肢は一つ。もし行きたくないとダダをこねでもしたら殺される。

そのまま水着の採寸に連行された。水着もイマドキこんなもん履くヤツいんのかと思うくらいダサい、ハイレグみたいなやつだった。はみ出ちゃうじゃないか。

 

そしてまもなく地獄が始まる。

 

なぜこんなに嫌がるのかと言うと、そもそもスポーツが嫌いで見ているだけでも腹が立つし体育の時間はボールから逃げるのに必死に奔走していた、というのもあるが、小学一年の水泳の授業で、膝くらいの水深のプールで溺れたからだ。なんであの時、溺れたんだろう。憶えているのは、溺れてバタバタもがいている最中に水中から見た青空と担任の先生に助けられたこと、その後に目を洗う水道の脇でブルブル震えて友達に大丈夫かと心配されたこと。

それもあって水泳は、体育の中で最も嫌いな分野となり、クロールすら出来ず休みがちにはなっていた。

 

でもどうしてこのタイミングでスイミングスクールなのか。

 

それは、通っていた小学校の裏に新しく開校されたからである。今でも恨んでいる。余計なことしやがって。

ボクのレッスンがあった金曜日は生徒数が多く、レベルごとに分けられた。同い年はほとんどいなくて、一つ二つ下の子たちが多かった。

 

そんな中でボクは一人だけ幼稚園生クラスに放り込まれた。

 

生きていてこれほど屈辱的なことはなかった。

十人の園児と十二歳のワタシ。


担当の先生ともソリが合わず。

少々気の強い若い女の先生だったのだが、ボクはそういうタイプとは合わないんだよなあ。あの自信に満ち溢れた物言いと目つき。私が言うことは全部正しいのよ、そんな態度が気に食わなかった。思い出すだけで腹が立つ。

『私がやるのをちゃんと見て真似してください。』

と言って、それに続いて園児たちが真似していく。

自分の番が来た時に「どんな感じでしたっけ?」と訊いた。そしたらばあなた、血相を変えて、

『ちゃんと見ててって言ったでしょう!』

と声を荒げてまくしたてた。なんて女だ。

見ていなかったわけではない。見えなかったのだ。こっちは目が悪いんだぞ。

「そんなカリカリしてたら血管切れるぞあんた」と今のボクならその場で吐き捨てて帰ってるところだが、純粋な小学生である。怒りを押さえつけて渋々言うことを聞いていた。

かわいそうに、あの頃のボク。

その後、幼稚園クラスから無事に卒業し、クロールのテストでは飛び級するまでに。嫌いなりになんとか頑張っていたのだ。

 

そんな生活は約三年続いたが、地獄の日々は突然、終わりを告げる。

なんとそのスクールが倒産したのだ。

不謹慎を承知で言うが、それを聞いた時は飛び跳ねて喜んだ。万歳三唱、もう来週から行かなくていいんだ! あの時の喜びは今も忘れられない。