「書くということ」

月初めにはいつも同じ事を思う。先月も書いたが、ついこの前でしょ、年が明けたの。

どうしてもう10月になっているんだ。気が付けば1年の折り返しをとっくに過ぎていて、あと二ヵ月後にはまた年越しを迎えるのである。

ボクの心の時計はまだ5月くらいですわ。

 

実は先週、勝手にこの「週刊 長谷川万大」をお休みしてしまった。

理由はただ一つ、原稿が間に合わなかったというだけなのです。

 決して怠けていたというわけではないのです。

 

お休みしても誰も困ることはないだろうし、特に気にしないだろうと軽い気持ちでほったらかしていたら、今週はどうして休みだったんだ! という抗議の声が(笑) 僕のもとに届いた。

それを人づてに受け取ったのはお昼ご飯の時で、思わず口の中のものをぶちまけるところだった。

 

これは大変有り難い話なのである。

 

毎週楽しみに待ってくださっているヘビーな読者様がいらっしゃるということに気付き、本当に感無量。

 月4回の更新だから、本当は月曜日が5回来る10月のどこかで休む予定にしていた。

 毎回読んでくださっている方への感謝とお詫びを込めて、今月は5回更新ということにします。謝謝。

 

いやー、しかしエッセイを毎週書くというのも、かなり大変である。

 

何が大変かって、ネタが無いのである。ようやくネタが見つかったと喜んでいたら、もう明日は月曜日、大変だこりゃ! という事態も少なくない。

それにネタが見つかっても、それを今度は広げなくてはならない。文字数にして約1000~1500文字ほど。これがなかなかに神経をすり減らすのだ。多ければいいというものでもないし、少なすぎても味気ない。その兼ね合いが難しかったりする。

ようやく完成させた一本も、推敲に推敲を重ねて大幅カットとなる部分や書き加える文章が毎回必ず出てくる。この表現は分かりづらいかも知れない、はたまた、これはストレートすぎて面白みがない、なんて悩みも多い。

 

エッセイが始まった7月から、何故ここまで順調に更新できていたのかというと、当初は全部更新の1ヶ月前には原稿を完成させていたからである。

7月の分は6月中に、8月の分は7月中に、と言う具合に前月の時点でいつでも更新できる状態にしていたのだ。

 

ところが、9月分の原稿を書くべき8月は、これまでの活動の中でもっとも忙しかったと言える時期で、週末はステージに立ちながら、それぞれ内容の異なる数本のライブのリハーサルや新アルバムのアレンジ作業及びレコーディングがぎっしり詰まっていたため、すっかり手をつけられなかった。

と言うより、忘れていた。

 

レコーディングスタジオまでは電車で往復4時間だったから、その移動時間を使って少しでも進めようとしたことはあったが、パソコンを開いてしばらくカタカタしていると、モーレツに首と肩が痛くなる。それにローカル線の終電では若い子達がこれでもかというくらい騒いでいて非常にやかましい。その中に中学時代の後輩もいて、なおさら頭が痛くなった。これはとてもじゃないけど無理だと思って一回でやめた。

 

ここまで書くと短いエッセイといえど、意外に大変で難しいということをお分かりいただけたのではないかと思う。

しかし、当然それを覚悟の上で始めたわけだし、何より文章を書くのが大好きなのだ。

こうして一つのエッセイを完成させるのは簡単ではないし、それなりに苦労する。だからこそ楽しくて、次への足掛けになるのだ。

 

コアでマニアックでエキセントリックな「週刊 長谷川万大」愛読者の皆様、これからもどうぞ、どうぞご贔屓に。