「8年」

 

明日で作詞を始めて8年になる。

中学1年の時だった。

     

8年前のまさに今日、PTAママさんバレーの練習から帰宅してテレビを点けると、金曜ロードショーの枠で「ヒットメーカー阿久悠物語」をやっていた。録画予約していたのだが、家を出るとき誤ってレコーダーのコンセントを抜いてしまい冒頭20分を逃してしまった。

 

この頃の我が家は録画レコーダーを導入したばかりで、電気代の節約を徹底する母の手によりこまめにコンセントを抜かれていた。今はレコーダーにおけるその制度はなくなったが、これだけは後悔している。

 

録画が開始されたのは「スター!誕生」の企画会議のところからだったが、冒頭の空白を忘れるほど、画面に釘付けになった。

 

翌日には100均で書簡箋を買ってきて作詞を始めていた。

 

いつもそうだ。見たものに影響されてすぐに始める。映画だって、ラジオだってそうだった。自分でやってみたくてウズウズしてもう「どうにもとまらない」のだ。そのためのマイクやら録音機器やらを揃えるのも楽しくて、買った日には深夜まで寝食そっちのけで没頭した。

 

しかも作詞は紙とペンさえあればいい。すぐにやらないはずがない。

 

最初に書いた詞は「風の街」というタイトルで、たしか戦争をテーマにした内容だったような。祖母の家で書いた記憶がある。

 

夏ということもあっただろうが、いきなり戦争を題材にするなんて、当時の万大少年はいったい何を考えていたんだろう。

 

それから作詞は最大の趣味になり、暇があればいつでもどこでも書いていた。学校の休み時間には、渡り廊下の空と海が見える見晴らしのいい位置に机と椅子を運び出して書いていた。

 

ボクの作詞における環境の条件は、窓いっぱいに空が見えること。

 

思えばこの頃から無意識にそうだったみたいだ。今更ながら気付く。

 

廊下で詞なんか書いていたら通りすがる友人たちに絡まれたものだが、ありがたいことに中学・高校とボクの周りはこの変人のことを理解し受け入れてくれていたので本当に助かった。

 

いつだって人に恵まれて生きてきた。

 

この翌年の夏、アリスのコンサートでこれまた影響を受けてギターを手に取り、その4ヵ月後には初舞台に立っていた。ほんの4ヶ月で人様の前に出ようとは・・・。これを話し出すと長くなるのでまたどこかの機会で。

 

作詞とギター。この二つがあれば曲が作れる。役者は揃った!

 

初の作詞・作曲は、中学2年の終わり頃。春がテーマの「春愁」という、タイトルからしていかにも暗い、憂鬱さ全開の歌だった。決して悪い曲ではないが、盛り上がりがなく何とも言えない切ない気分になるので、初披露したライブ以来、6年間歌っていない。

     

三年生にもなると受験勉強を強いられ、毎日2時間は必ず机に向かえ! と言い渡されたので、ちゃんと机に向かって作詞をしていた。コソコソと詞を書くこのスリリングさがなんともたまらないのだ。ボクはジェットコースターやおばけ屋敷といった絶叫アトラクションは怖いのでまったく乗らないが、こういうところでそのスリリングさを補給していた。

     

この頃は単純に日記のような感覚で、1日に何編も書いていた。日記と言っても、その日起きたことをダラダラと書き並べるのではなく、事実を基に好き勝手脚色して書いていた。

     

ボクは基本的にノンフィクションが好きではないので、自分に起こったことを知らない誰かの身に起こったかのように書く。

それが昔から妄想家と呼ばれる所以かも知れない。